
2014年11月06日
与えられたもの
11月に入って、一段と寒くなってきました。
このところ、生きるということを考えさせれることが多いのです。
先日、UMKの柳田アナウンサーのお話を聴く機会がありました。
柳田さんは、6年前、テレビの生放送中の事故で、脊椎を損傷し、四肢麻痺という重症を負いました。
その事故の瞬間から今の車椅子に座れる状態までのいきさつを話されました。
時折、笑いを取るような口ぶりではありましたが、その裏には、大変な忍耐と大きな感謝が見え隠れていました。
話された中に、
「イエスか、ノーかの選択があったとしたら、イエスを取る」という言葉が、耳に残っています。
健常者のわれわれは、ことあるごとに、理由をつけて、ノーという選択を沢山をしています。
やれ、きついだの面倒だとか、・・・・考えさせられます。
話は変わりますが、つい先日、アメリカの女性が安楽死を選びました。
前回紹介した、マユミーヌの曲(詩は、ニューヨークのリハビリの施設の壁にかかれたもの)で神から与えられたものは、
ハンディであり、命でもあります。
勝手に人間が放棄してよいものだろうがと思ってしまったのです・・・・・。
このところ、生きるということを考えさせれることが多いのです。
先日、UMKの柳田アナウンサーのお話を聴く機会がありました。
柳田さんは、6年前、テレビの生放送中の事故で、脊椎を損傷し、四肢麻痺という重症を負いました。
その事故の瞬間から今の車椅子に座れる状態までのいきさつを話されました。
時折、笑いを取るような口ぶりではありましたが、その裏には、大変な忍耐と大きな感謝が見え隠れていました。
話された中に、
「イエスか、ノーかの選択があったとしたら、イエスを取る」という言葉が、耳に残っています。
健常者のわれわれは、ことあるごとに、理由をつけて、ノーという選択を沢山をしています。
やれ、きついだの面倒だとか、・・・・考えさせられます。
話は変わりますが、つい先日、アメリカの女性が安楽死を選びました。
前回紹介した、マユミーヌの曲(詩は、ニューヨークのリハビリの施設の壁にかかれたもの)で神から与えられたものは、
ハンディであり、命でもあります。
勝手に人間が放棄してよいものだろうがと思ってしまったのです・・・・・。